徒然なる儘に ・・・ ⑤

心機一転、新たにブログ再開です💕 雑談を書くことも多いですけれど・・・(主に、電子ゲーム・ネタ💕)、残りは【新聞記事】にコメントを入れています💕

春秋(4月4日) 2024年4月4日 0:00

戦後間もない1947年秋。30代の若き裁判官が栄養失調で亡くなった。食糧難の時代。人々は家財や着物を売り、違法な「闇米」で食いつないだ。誰もが生きるのに精いっぱいだった。だが、判事は「経済事犯を裁く身でどうしてヤミ買いできよう」と正義に殉じた。

▼新聞各紙は孤高の法律家の生きざまを論評した。「悪法も法」と毒を仰いだソクラテスを引き合いに、高潔な人柄を称賛する社説。「死んで花実が咲くものか」と嘆くコラム。評伝「われ判事の職にあり」(文芸春秋)が当時の論調を伝える。本書の奥付に「発行者 半藤一利」とある。歴史探偵の興味をかき立てたのか。

▼国民の司法への信頼を担保するのは、私生活も含めた判事の人格の清廉さか。個々の訴訟での法解釈の妥当性だろうか。きのう、SNSへの不適切な投稿で関係者を傷つけたなどとして訴追された岡口基一判事に対する判決が、国会の裁判官弾劾裁判所であった。裁判官の表現の自由などが論点になったが、罷免を決めた。

▼戦後初の弾劾裁判の判決は48年11月。私的旅行で無断欠勤した判事が訴追された。結論は罷免せず。判決理由を平易に要約すると……。確かに品位を欠く行状だが、裁判官は象牙の塔に隠れていてはダメ。社会の実相に触れ、生きた裁判を目指そう。一般人と異なる特段の行動制約は不要だ。遠い昔に存在した理想である。