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第20回 傷ついた兵士は、なぜ我が子を殴るのか トラウマ学の第一人者に聞く 聞き手・後藤遼太2024年6月15日 11時00分

第20回傷ついた兵士は、なぜ我が子を殴るのか トラウマ学の第一人者に聞く

戦争トラウマ 連鎖する心の傷

聞き手・後藤遼太
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森茂起・甲南大名誉教授=2024年5月、神戸市、後藤遼太撮影

 戦争で心に傷を負った兵士が、帰国後に自分の子どもに暴力を振るい、幼い心を傷つける――。暴力の連鎖は、戦争トラウマ問題の核心です。なぜ、トラウマは世代を超えて伝わってしまうのか、トラウマ研究の第一人者の森茂起(しげゆき)・甲南大名誉教授(臨床心理学)に聞きました。

 ――戦場で暴力にさらされた兵士たちは、どうして家族など他者に暴力を振るうようになってしまうのでしょうか。

 簡単に言えば、防衛本能です。「ピリピリして怒りっぽい」状態の方が、戦場で生き延びられる可能性が高まるからです。

 戦争や災害、犯罪など、生命が脅かされるような出来事によって引き起こされた心的後遺症が、PTSD心的外傷後ストレス障害)です。PTSDの主な症状の一つに、「過覚醒」があります。

 過覚醒状態の時、人は感覚が研ぎ澄まされ、緊張が続いてピリピリしています。次のショックを警戒して身構えている状態と理解できます。危機的な状況で動物が示す「闘争・逃走」反応です。

 戦場にいる間は、過覚醒の方が生き延びる可能性が高い。自分を脅かすものを攻撃し破壊するか、それとも逃げるか。いずれにせよ最大限に覚醒する必要があります。

 PTSDは、危機が去ってもこの反応から抜け出せなくなっている状態です。いら立ちから暴力が発生すれば、DVや虐待につながります。更に、鎮静剤として酒や薬物に頼る人も、多くいます。

「愛着」の障害を引き起こす

 ――PTSDの診断名が生まれたのは1980年。アジア・太平洋戦争を戦った元兵士たちが復員した時代には、そうした概念はありませんでした。

 戦争体験に苦しんでいることを復員兵や家族は分かっていても、理解する方法がなかったのです。回復や治療にせよ、家族の接し方にせよ、何の手がかりもなかったと思われます。体験を語ることも困難だったはずです。

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戦時中の1943年9月14日の朝日新聞朝刊に載った「戦争神経症」の解説記事。ガダルカナル島で戦った米兵が「皇軍の勇猛果敢な攻撃」のために「恐怖のドン底に追ひ込まれて心身共に困憊、極度の精神異常者となり」などと説明され、第1次世界大戦の際に多数報告された事例と同じだと書かれている。

 今であれば精神科クリニックに相談することもできます。しかし、当時は難しかったでしょう。家族で頑張って何とかできるような問題ではないのですが、家族で抱えるしかなかったのです。

 父親が常に緊張状態で暴力的なら、家族もピリピリとした緊張状態に置かれます。そうした環境に置かれた子どもへの影響は、トラウマの「世代間伝達」という言葉で理解されます。

 ――世代間伝達、ですか。

 親のトラウマが子ども世代に伝達されることです。心理学で「アタッチメント」と呼ぶ親子関係の理解が重要です。「愛着」などと訳され、子どもが安心できるような、養育者との関係です。

 戦争トラウマはアタッチメントの障害も引き起こします。戦争帰りの父親の中には、子どもに安心感を与えることが困難になった人もいます。場合によっては、存在自体が子どもの不安の源になってしまう。

 母親も父親におびえて本来の役割を果たせず、あるべきアタッチメント形成ができない。「人と人との関係の障害」として世代を超えて伝わるのです。

 私を含め、戦争の影響で虐待が増えたのではないかと考える専門家は少なくありません。

トラウマがトラウマを生む

 ――戦争によるトラウマから、虐待によるトラウマが生まれるということですか。

 近代以降、一般市民が大量に兵士として戦争に参加する時代となり、社会の中のトラウマの量と質が劇的に変わったのではないでしょうか。心に傷を負った兵士の帰国が、受け入れる家族の中のDV、虐待につながるのは一つの道筋です。

 極端な暴力が残す傷は深い。それは、戦争によって起こされたものと言えるでしょう。

 トラウマの研究の歴史には二つの流れがありました。一つは、私が「惨事トラウマ」と呼んでいる、事故や災害、戦争などによるトラウマの研究です。PTSD概念の成立に至る流れです。

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阪神・淡路大震災で倒れた阪神高速。震災以降、日本国内でも「トラウマ」や「PTSD」といった言葉が知られるようになる=1995年1月

 もう一つが、児童虐待やDV、性暴力など日常にひそむ暴力によるトラウマの研究です。近年注目されている「複雑性PTSD」の多くがそうしたトラウマの蓄積によるものです。加害者の支配下で継続的に被害に遭うため、トラウマも反復的・長期的で、広範な影響を及ぼすと考えられています。

 二つの流れは、ある程度独立して研究されてきました。一方で、戦争トラウマを巡る連鎖を見ると、相互に関係してきたことが分かります。これらが総合されることで、トラウマが総合的に理解できるのではないでしょうか。

専門家ですら……

 ――戦争のトラウマの議論が活発になったのは、最近という印象があります。

 トラウマ研究の歴史は「潮の満ち引き」のように関心が高まっては失われるということを繰り返してきました。トラウマの治療や研究がつらすぎて、継続する人がいないのが一因です。

 兵士のトラウマ的後遺症が初めて注目されたのは第1次世界大戦の欧州です。「シェルショック(砲弾病)」として研究されました。しかし、戦後は研究が低調になってしまいます。

 シェルショックを命名した心理学者ですら戦後、「過去5年にわたる仕事を思い出すことは、あまりにも苦痛だ」と述べたほどです。

 PTSD患者の治療者や援助者は、自身もトラウマを受ける危険があります。兵士と同様のフラッシュバックや悪夢、不安などに悩まされるのです。

 苦しみへの共感は研究や援助の意欲をかき立てますが、あまりに強い苦しみは人を遠ざけます。専門家ですら遠ざかってしまうのですから。

 2度の世界大戦やベトナム戦争などを経て、現在までの100年のトラウマ学の歩みの至るところで見られる現象です。

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ベトナム戦争の戦場で戦う米兵。ベトナム帰還兵の後遺症は米国で社会問題となり、PTSDの診断名が誕生するきっかけとなった。

今こそ国の責任で

 ――日本社会は戦争トラウマとどう向き合ってきたのでしょうか。

 戦争が日本社会に残したトラウマの総量は膨大でしょう。しかし、社会の対処能力を超える傷は、個人の記憶の中に障壁が生まれて乖離(かいり)されるのと似たような状態で、社会の中に隔離されて残ってしまいます。

 戦争の記憶は、日本人全体が共有できる一つの物語として整理されないままになっています。忘却され、子供たちはそれを知らずに育つ。記憶の統合はますます難しくなり、分断は進みます。

 ――元兵士もほとんどが世を去りました。戦争トラウマの実態を後世に伝えるのは難しいのでしょうか。

 悲観的にならず、体験を共有していく営みは重要です。トラウマを受けた元兵士の家族が連帯する動きもあります。大きな意味があります。

 「PTSD日本兵家族・寄り添う市民の会」の活動を契機に、メディアも報じ始めています。国会でも昨年3月、この問題が取り上げられました。

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厚生労働省の担当者らに、心に傷を負った元日本兵やその家族についての調査や、精神的ケアの必要性を訴える「PTSD日本兵家族会」の黒井秋夫代表=2024年3月、東京都千代田区、後藤遼太撮影

 国が行った戦争ですから、国として対応する姿勢が求められます。確かに、残された傷の実態を正確に把握することは難しくなっているかもしれませんが、できることはあるはずです。

 家族の聞き取りは今も続けられていますし、対象を無作為抽出して市民にアンケートもできます。祖父や父の従軍歴や戦後の症状、家庭でのDVや虐待の有無、子どもや孫の世代への影響などを聞く。今からでも遅くありません。

 戦争で生まれた怒りや恨みは、この社会に残ったままフタをされてきました。それは、社会として健康な状態とは言えません。(聞き手・後藤遼太)

     ◇

 もり・しげゆき 1955年神戸市生まれ。甲南大学の文学部長や人間科学研究所所長などを歴任し、2023年より名誉教授。専門は臨床心理学。日本のトラウマ学の第一人者で、子どもの虐待の研究などにも携わっている。

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戦争トラウマ

 
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    平尾剛
    (スポーツ教育学者・元ラグビー日本代表
    2024年6月15日11時0分 投稿
    【視点】

    戦争トラウマがいまの社会に根強く影響を与え続けている。この記事を読み、それを思い知りました。あまりに壮大な見立てに思わずたじろいてしまいますが、戦争トラウマがDVや虐待を引き起こす原因になっているということから考えると、いまを生きる私たちが真正面から向き合わなければならない課題だと思います。 記事を読みながら、以前に観た映画『アメリカン・スナイパー』(2014年公開)を思い出しました。イラク戦争で160人を射殺し、「伝説の狙撃手」として英雄視されたクリス・カイルの実話が元になった映画です。家族と過ごす時間などの日常生活でも「過覚醒」が続く様子がリアルに描かれ、戦争がひとりの人間をかくも非情に変えてしまうことと、その変化が無情にも周囲に波及してゆくことに、衝撃を受けました。 この映画を観たあと、僕は言葉に言い表せないほどのショックを受けたんです。ブラッドリー・クーパー扮するクリス・カイルの苦悩に、激しく共感してしまった。放心状態のまま映画館を出たあと、宛てもなくひたすら歩きました。なぜ自分がこれほどまでにショックを受けているのかをうまく説明できなくて、ただただ歩き続けるしかなかったんです。 「PTSD患者の治療者や援助者は、自身もトラウマを受ける危険があります。兵士と同様のフラッシュバックや悪夢、不安などに悩まされるのです。」この下りから、おそらくあのときの僕は不用意にトラウマに近づき過ぎたのだと思われます。 さらに言うと、復員兵としてのクリス・カイルに、ラグビー選手を引退した自分を重ねてしまったこともあります。生死を賭す戦争と、たかだか勝ち負けを競うスポーツを重ねるのは暴論だということは承知しています。でも、頭ではわかりながらもからだがついそうしてしまった。 引退後しばらくは、あまりに平穏な日常を退屈に感じていて、肉体的にも精神的にも満足できませんでした。なにをしてもどこか物足りない。それか漠然とした不安も生み、とにかく刺激を求めてジタバタしていました。そんな心境を、クリスの苦悩に投影してしまったのだと思います。 少し話が逸れたかもしれません。ただ、私が言いたいのは、戦争トラウマほど壮絶ではないにしても、プロスポーツ経験者も引退後にトラウマを抱える傾向があるのではないかということです。あくまでも私の経験則ですけれど、この観点からもアスリートのセカンドキャリアを考える必要があるのではないでしょうか。