徒然なる儘に ・・・ ⑤

心機一転、新たにブログ再開です💕 雑談を書くことも多いですけれど・・・(主に、電子ゲーム・ネタ💕)、残りは【新聞記事】にコメントを入れています💕

2024年6月8日(土) きょうの潮流

2024年6月8日(土)

きょうの潮流

 なぜ多くの人びとをさらに死地へ追いやる決断をしたのか。答えの手がかりは、祖父の辞世の句にあると本紙に語っていました

 

 

沖縄戦を指揮した日本軍の牛島満司令官。その孫の牛島貞満さんは「住民に多大な犠牲を強いた二つの命令を下している」といいます。首里司令部の陥落後に南部撤退を決めたこと。そして自決前に「最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし」と終わりなき戦いを命じたことです

沖縄戦「辞世の句」を残した牛島満司令官、どんな人物? 陸上自衛隊HPへの掲載問題、背景を考えた

2024年6月6日 12時00分
 太平洋戦争の沖縄戦を指揮した日本軍第32軍の牛島満司令官の辞世の句を、陸上自衛隊がホームページ(HP)に掲載してきた問題が波紋を広げている。沖縄の地元紙が報じ、戦前の皇国史観に基づく句の掲載が、日本軍と自衛隊の連続性を示し、戦争を美化していないかと懸念されている。台湾有事を念頭に、自衛隊の増強が進む沖縄が投げかける問題を、識者とともに考えた。(岸本拓也)
日本軍第32軍の牛島満司令官の辞世の句が掲載された陸上自衛隊第15旅団の公式ホームページ

日本軍第32軍の牛島満司令官の辞世の句が掲載された陸上自衛隊第15旅団の公式ホームページ

◆防衛相「歴史的事実を示す資料として」

 辞世の句は「秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦(よみがえ)らなむ」。那覇市に拠点を置く陸自第15旅団の公式HPに、2018年から掲載されてきた。牛島司令官は1945年の沖縄戦で持久戦を続ける方針を決め、追い込まれた本島南部で6月23日に自決したとされる人物だ。
 今月3日に琉球新報が報じた後、4日の参院外交防衛委員会で経緯を問われた木原稔防衛相は「第15旅団の前身である臨時第1混成群が、昭和47(1972)年度に作成した部隊史を基にしたもの。歴史的事実を示す資料として掲載する意図だった」と答えた。
 なぜ、句の掲載が問題視されたのか。沖縄戦では住民約9万4000人を含め、20万人超の犠牲者が出た。沖縄国際大の石原昌家名誉教授(平和社会学)は「牛島司令官は、軍人と役人、一般人が一緒になって天皇のために命をささげる『軍官民共生共死の一体化』の方針を打ち出した。この考えを貫いた作戦によって、沖縄戦では戦闘員より一般住民に多大な犠牲を生んだ」と、その責任を問う。

◆「国体護持のため住民を『捨て石』にした司令官」

 牛島司令官が1945年5月に首里の司令部を放棄し、住民が密集避難する南部へ撤退したのは象徴的という。「住民を盾にする形で米軍を迎え撃つ作戦に変えた。これ以後、米軍の攻撃死のほか、日本軍による住民の防空壕(ごう)追い出しや幼児の毒殺・絞殺、住民をスパイ視して虐殺するなど住民の死者が増えた。国体護持のために住民を『捨て石』にしたのが牛島司令官だ」
沖縄戦「慰霊の日」の未明、黎明之塔を献花に訪れた自衛官=2020年6月23日、沖縄県糸満市の平和祈念公園で

沖縄戦「慰霊の日」の未明、黎明之塔を献花に訪れた自衛官=2020年6月23日、沖縄県糸満市平和祈念公園

 共同通信は5日夜、第15旅団が辞世の句を削除しない方針を明らかにしたと報じた。自衛隊史に詳しい中京大の佐道明広教授は「戦前のような軍隊にならないという考えでつくられてきたのが、戦後の自衛隊。沖縄の本土復帰後に配備され、不発弾処理など地道な活動を続け、県民に受け入れられてきた」と述べる。旧軍との連続性を疑わせるような句の掲載について「県民の信頼を損なうマイナス影響しかない」と断じる。

◆「旧日本軍との関係を断ち切れず」

 沖縄県平和委員会の大久保康裕事務局長は、第15旅団が2004~21年、慰霊の日に合わせて牛島司令官らをまつる糸満市摩文仁の「黎明(れいめい)之塔」に集団参拝を続けてきた経緯と、今回の問題を重ね合わせる。「自衛隊は、旧日本軍との関係を断ち切れていない。対米従属が実態の中で皇軍を美化し、心のよりどころとしているのではないか」
 今年1月に陸自幹部らが靖国神社を集団参拝し、4月には陸自部隊がSNSで、アジアへの侵略戦争を正当化する文脈で使われることが多い「大東亜戦争」という表現を用いて、削除された。自衛隊と日本軍とのつながりを想起させる出来事は続いている。
 前出の石原氏は「HPに掲載したのは、沖縄の『戦場化前夜』という局面を念頭に、自衛隊員に、牛島満の『最後まで敢闘せよ』という精神を継承させようという強い意思の表れだろう」と感じている。「辞世の句は、皇国の存続しか念頭になく、住民の犠牲は何ら省みられない。沖縄戦の悪夢を呼び覚ますもので、一刻も早く削除すべきだ」

 

 

▼その際に詠んだ句が〈秋待たで枯れ行く島の青草は皇国(みくに)の春に甦(よみがえ)らなむ〉。秋を待たずに枯れる沖縄の若者の命は、本土決戦に勝利して春になった天皇中心の国によみがえるだろう。そのために沖縄の人たちや自軍が犠牲になるというのが祖父の考えだったと▼それを掲げることがどんな意味をもつのかわからないのか。那覇市に拠点をおく陸上自衛隊第15旅団がホームページにこの辞世の句を掲載しています。住民を含めた沖縄戦の犠牲者を「英霊」とする初代指揮官の訓示とともに▼岸田政権が永遠のパートナーともちあげる米国の対中戦略のもとで、最前線として軍事要塞(ようさい)化が進められている沖縄。またも「捨て石」にしようというのか。自衛隊や基地の増強も強行されています▼戦争か平和の道かが問われる沖縄県議選が告示されました。16日投票までの選挙戦は沖縄戦の悲惨を凝縮した南部彷徨(ほうこう)の日々と重なります。基地のない平和な島をめざすデニー県政を支える、共産党オール沖縄の勝利を。ふたたび戦場にさせないためにも。